今日の教えは、安息日の食事の場面である。ユダヤ人の安息日の習慣として、会堂での礼拝の後、正午から(12時から)、安息日の食事と呼ばれるものをにぎやかに行う習慣があったと言われている。友人や親族、近所の人たちと食事をした。主イエスはこの安息日の食事に招待されたようである。「ある安息日のこと、イエスは食事をするために、パリサイ派のある指導者の家に入られた。そのとき人々はイエスをじっと見ていた」(1節)。主イエスは客として安息日の食事に招待されたのだけれども、歓迎されてのお呼ばれではなかった印象が強い。それは三つの描写からわかる。第一は、「そのとき人々はじっとイエスを見つめていた」という視線である。この視線は、ここが初めてではなく、6章6,7節でも見られた。そこも安息日の場面で、会堂に右手のなえた人がいるという場面である。人々は、主イエスが彼をいやしたなら訴えてやるぞと、陰険な悪意のまなざしを向けていた。この場面も同様であると思われる。今度こそ揚げ足を取ってやるというか、非難する材料を見つけてやろうとするまなざし。そのまなざしを向けていたのは、3節より、律法の専門家たちやパリサイ人たちであったことがわかる。中には、イエスさまはどうされるんだろうと、不安と期待のまなざしを向けていた者たちもいただろう。しかしながら、そうでないまなざしのほうが多かったはずである。歓迎されてのお呼ばれではなかったことがわかる第二の描写は、「パリサイ派のある指導者の家」に招かれたということ。パリサイ派は主イエスに対して敵対的であることは、福音書から明白である。その指導者の家ということは、主イエスをやりこめてやろうという強い意図を感じる。12章37~41節では、すでにパリサイ人の家に招待されて食事をされる場面があった。その時、主イエスは食事の前の、きよめの洗いの習慣を無視された。伝統として重視されていた儀式的きよめの習慣だが、無意味であるとしてされなかった。厳格なユダヤ人なら、儀式的きよめを疎んじる人物を招きはしない。そんな輩と食事をともにしたくないというだけではなく、他の客人に汚れが及ぶとみなすからである。主イエスを招いたパリサイ派の指導者は、儀式にこだわる厳格なユダヤ人である。普通であれば、彼らの神経を逆なでするような人物を招くはずはない。何か作為的なものを感じる。歓迎されてのお呼ばれではなかったことがわかる第三の描写は、ここに水腫をわずらった人物がいるということである(2節)。水腫は肉体の組織や関節部分に、過剰に水分が溜まってしまう病気である。安息日の食事にパリサイ派の指導者が、このような人物を招待するわけはない。また招待しないとしても、そのような人物がここにいることを許すはずはない。水腫をわずらっていることを、パリサイ派などは、罪深さや悪霊につかれていることと関連づけるだろう。液体の流出も嫌がるはずである。大切な食事の場を汚し、客人たちを怒らせると考えて、このような人物を招くことは通常では考えられないし、そこにいること自体、許すことも通常では考えられない。だから、主イエスを試し、罠にはめることが目的で、水腫をわずらっている人を置いた、またその場にいることを許したと考えるのが自然である。パリサイ人は、この水腫をわずらっている人を、主イエスをやりこめるために利用しようとしたにすぎない。水腫をわずらった人は、主イエスから遠いところにいたのではない。なぜか、すぐそばにいた。「見よ。イエスの前には、水腫をわずらっている人がいた」と。

主イエスは、飛んで火にいる夏の虫状態に置かれていたのである。だが主イエスは動じない。むしろ、周囲を圧倒してしまう。3節を見ると、主イエスは水腫をわずらった人を前にして、律法の専門家たち、パリサイ人たちに問いかける。「安息日に癒やすのは律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか」。何と、主イエスの側から質問している。この問いに対して、彼らは答えを持っていた。安息日に癒やすのは律法にかなっていないと。彼らは安息日にしてはならない労働には治療が含まれると断定していた。だから、主イエスの質問に対して即答できるはずである。だが、彼らは答えない。4節前半には、「彼らは黙っていた」とある。彼らの反応は前と違ってきている。6章において、安息日に右手のなえた人をいやされた時、彼らは怒りを燃やした。6章11節に「彼らは怒りに満ち」とあり、主イエスに対する怒りを露わにした。また13章10節では、主イエスが安息日に、十八年もの間、病の霊につかれた女をいやした時に、会堂司は憤り、「安息日はいけない」と反応したことが記してある。会堂司とは大方パリサイ派だった。だが、この場面において、パリサイ派の指導者をはじめ、面々が沈黙を守った。それは、自分たちが思い描いていたストーリーと違ってしまい、いきなり質問されて面食らったということがあったかもしれないが、これまでの経験から、主イエスが知恵者であるということがわかっていて、うっかりしたことを言うと、逆にやりこめられてしまう、と思ったからだろう。

主イエスは、彼らが反論しないというかできないのを見て取った時、4節後半にあるように、「イエスはその人を抱いて癒し、帰された」。なんと、あわれみに満ちた行為だろうか。水腫をわずらった人を「抱いて」ということ自体、通常の人は絶対しない。汚れが移る行為とみなされるからである。けれども主イエスは意に介しない。そして、律法の専門家たちやパリサイ人たちの心拍数を上げる、安息日に癒やすという行為を行った。

主イエスは続いて、律法の専門家たちやパリサイ人たちに対して、有無を言わせないカウンターパンチを食らわせる。「それから彼らに言われた。『自分の息子や牛が井戸から落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者が、あなたがたのうちにいるでしょうか。』」(5節)。安息日に息子や牛が井戸に落ちた時の処置に関する投げかけのことばである。「井戸」について説明しておくが、日本の時代劇で見かけるような小さな井戸とは違う。かなり大きな井戸である。大人も牛も落ちてしまう大きな丸い穴である。穴の内側の周囲にらせん状の階段が刻んであり、この階段を下りて、一番下の地下水が湧きだしている泉まで降りて行き、そこで水を汲んで、またらせん状の階段を上って井戸から出るというものである。つるべを降ろして水をくみ上げるという井戸の狭さではない。牛もドボンと落ちてしまう大きな井戸である。ドボンと落ちたら、安息日であっても牛を助けることさえ認めていた。明日になるのを待ってではなく、すぐに引き上げることを認めていた。これを認めておきながら、安息日に病人をいやすのはいけないのか、という問いかけになっている。

6節を見ると、「彼らはこれに答えることができなかった」と、最後まで沈黙である。「う~ん」と唸るのがせいいっぱいだったと思う。彼らは自分たちの論理の矛盾をみごとに突かれ、ことばを失ったのである。何かことばを返そうとした者もいたかもしれないが、揚げ足を取られるとみて、沈黙という安全策を取るよりほかはなかっただろう。あとは歯噛みするよりほかはない。

安息日は礼拝の日であることは言うまでもない。主イエスも安息日には会堂で皆とともに礼拝をささげた。安息日は礼拝の日であるとともに、健康を考えてからだを休める日であった。安息日<シャバット>のことばそのものは、「断つ、止める」を意味し、それは仕事を断つ日、止める日、なのだけれども、そのことによって家畜も人も休んで、疲労回復に努め、健康を取り戻すことが目的であった。一週間の一日は、いのちの基である神を礼拝し、人間も動物も休んで本来の健康を取り戻せる日として、神が取り分けてくださった。安息日のいやしという行為は、禁ずべきことではなく、致し方ないことでもなく、安息日の目的にかなっているのである。

主イエスは沈黙した彼らに対して攻撃の手を緩めない。水腫をわずらった人をご自身を陥れる道具ぐらいにしかみなさず、自分を持ち上げることでやっきになっている彼らの鼻をへし折ろうとされる。「イエスは、客として招かれた人たちが上座を選んでいる様子に気がついて、彼らにたとえを話された」(7節)。古代において宴会の座というものは、客たちにとっては、自分たちの社会的地位を誇示する場であった。自分たちが優越していることを示すには、主人の近くに座ることであった。客たちが切望するのは主人の最も近くに座ることであった。主人から遠い、目立たない席は、好ましくなかった。客たちは、自分たちの値打ちを示すために上座をねらった。パリサイ派の人たちは見栄っ張りである。自己宣伝、自己昇進、自己高揚に努める。

主イエスは彼らの腐ったプライドを正すために、結婚の披露宴をたとえに使う(8~11節)。披露宴等で上座を選ぶのはリスクを伴った。上座に座って得意になっていたと思ったら、自分より上の地位の人がやってきたため、「この人に席を譲ってください」と指示され、その場を立って、大恥をかくことになる。だから、まず末席に座って、あとから「もっと、上座にお進みください」と言われるほうがいいと。主イエスがここで言われたいことは、礼儀作法とか、席順の常識とか、ビジネスマンのマナーの問題ではない。上座をねらうという、その精神性の問題である。

心に留めたいのは11節である。「なぜなら、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」。主イエスが言われたいことは、自分で自分を高く位置づけるのは良くない、それを決めるのは神さまなのだから、へりくだりなさい、ということである。この節で、「低くされ、高くされる」と受身形で表現されている。これは以前にもお伝えした神的受動態というものである。隠れた主語は神さまである。こうなる。「神は、自分を高くする者を低くし、自分を低くする者を高くする」。パリサイ派の人たちは、自分で自分を高くすることにやっきになっていて、民衆や、罪人と言われる人たちや、病人たちや障がい者を下に突き落としていた。水腫をわずらっている人のことも当然、下に落としてしまう。そして自分で自分を高くする。彼らは悪い見本である。自分で自分を高くするのではなく、私たちがすることは、自分で自分を低くすることである。私たちは、様々な人たちとの比較の中で、自分はこの辺りかな、もっと上に行けるかな、あそこ辺りには行けるんじゃないかな、もっと上かも、と自分を査定するのではなくて、それをされるのは神さまなのだから、自分では自分のことを低く見積もることである。あとは神さまにおゆだねである。パリサイ派の人々のように自分で自分を高くする人たちは世間にもたくさんいる。それは、人にも神さまにも嫌われるだけの態度である。

さて、主イエスは、今度は客人に向けてではなく、食事に招いてくれた人に語る(12~14節)。「イエスはまた、ご自分を招いてくれた人に話された」(12節前半)。話の対象はいわゆるホストに移る。彼は、1節から「パリサイ派のある指導者」であることがわかる。この人物はユダヤ社会の中でも名のある人物ということになる。というだけでなく、主イエスを敵視するグループのリーダー格ということになる。周囲には彼らの同士がいる。敵陣の中に入って行った主イエス。飛んで火にいる夏の虫と思いきや、主イエスは反対に、周囲の人々を総なめにしていき、最後はホストであるリーダーを標的にするのである。主イエスは敵陣で完全に場の主導権を握っておられる。

最後の話の要点は、どのような人々を招待するのか、ということである。主イエスが招かれた食事で、招かれた人の大半は、3節の「律法の専門家たちやパリサイ人たち」である。そこに「水腫をわずらっている人」はいたが、招かれた客でなかったことは明らかである。それは4節からもわかるが、招かれた客であったのなら帰っていかない。主イエスはだれを招くか招かないかという選択において、お返しできる人ではなく、お返しをできないような人たちを招くようにと教えた。豊かとは言えない人たちを招きなさい、ということである。13節の「貧しい人たち」に続く、「からだの不自由な人たち、足の不自由な人たち、目の見えない人たち」は、当時にあって職につける可能性は低く、社会保障もないので、やはり貧しい人たちである。お返しは難しい人たちである。お返しのできない人たちは、病人や障がい者の他に、災害に遭った人たちも該当するだろう。

12節も誤解されないように少し説明しておこう。「友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません」と言われているが、そんなことを言ったら友だち付き合い、親戚付き合いはどうなるの?と思われるだろう。こうした人たちとの会食の機会は、毎年、ふつうにあるわけである。これを読んで、友人、兄弟、親族を食事に招いてもいけないのだと勘違いしてはならない。これは、この文化圏、言語圏独特の言い回しである。「AよりもむしろBを」ということを伝えたいときに、表現としては、「AではないBを」という断定的表現をとる。とすると、友人、兄弟、親族、近所の金持ちを絶対に呼んではならないということではなく、こういう人たちを呼んでもいいけれども、それよりももっと心を砕かなければならないことは、お返しのできない人を呼ぶ場を作りなさいということである。主イエスの教えを汲み取って、個人的にそうしている人たちがいるし、教会として使命を感じて取り組んでいるケースもある。ボランティア活動として地域の団体で実践している方々もいるだろう。日本はお返しの文化なので、お返しということを心に懸けつつも、今日の主イエスの教えに耳を傾けたい。

お返しをできないような人たちを招いて、お返しはどこからもなくて終わりとなのかというと、そうではないようである。「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです」(14節)。お返しは神さまがしてくださる。「義人の復活」の時に。義人の復活に関しては、二箇所だけ参考箇所を開いてみよう。「また私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています」(使徒24章15節)。「ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に」(ダニエル12章2節)。義人も悪人も復活し、義人は永遠のいのちを受け、悪人は永遠の刑罰を受ける。それは、キリストの再臨の時に起こる。この時がお返しを受ける時となる。

この教えに関して思い起こすのは、マタイ25章の講話である。そこでは主イエスが再臨された時に報いを宣言された人たちの質問がある。「主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。いつ旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか」。それらに対する主の答えは、「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたのは、わたしにしたのです」。(マタイ25章37~40節)。このように言われる主がお返ししてくださる。

以上が今日の箇所の教えだが、私たちは、今日の場面から様々なことを教えられるだろう。水腫をわずらっている人への主イエスのあわれみ、またパリサイ派の人々に対する主イエスの訓戒。さらには、パリサイ派の人々に取り囲まれている中での主イエスの態度そのものからも教えられる。パリサイ派の人々は水腫をわずらっている人を道具として主イエスを罠にはめようとしていた。主イエスは蛇に睨まれたカエルのようにしてそこで縮み上がってはしまわなかった。彼らに非難されることを恐れて、おどおどしながら、当たり障りのない行動を取ってしまうことはなかった。主イエスは彼らをまったく恐れることなく、水腫をわずらっている人を抱いていやすという、大胆な愛の行動に出る。そしてパリサイ派の人々が勢ぞろいしている食事の機会を逆手に取って、これを好機に変え、彼らを束にして諭そうとする。パリサイ派の人々は本来であれば、ことばの機関銃の総攻撃で主イエスをやりこめたかっただろうが、そうさせてもらえず、沈黙を強いられ、完全に教えを聞く側に回ってしまう。このように、主イエスは敵陣に堂々と入って行って、水腫をわずらった人に対してだけでなく、他の客人たちに対しても、ホストに対しても、その場にいた全員のために、ことばとふるまいで神の御意志を伝達しようとしたのである。敵の思うつぼと思われたような機会を、益と変えてしまわれたのである。このお姿からも教えられる。人を恐れてしまいやすい私たちだが、行く所行く所で、祈りつつ、ことばとふるまいをもって主イエスのように周囲の祝福となろう。

パリサイ派の指導者の家での講話は次回も続くことになる・・・。