前回までは、屋外で群衆を前にしての教えであったが、今日の場面は屋内に変わる。「イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた」(10節)。主イエスのルーティーンとして、土曜日の安息日ごとに会堂で礼拝し、人々を教えるということがあった(ルカ4章31,34節)。初代教会時代より、主イエスがよみがえられた日曜日を安息日として礼拝をささげるようになったが、週の一日を礼拝の日として取り分けて、共同体として礼拝をささげるという習慣は、主イエスご自身が大切にしておられたことである。

今日の場面で、主イエスと当時のユダヤ人の間に、安息日の受け止め方について、見解のズレがあったことがわかる。礼拝の日として過ごすということは共通していたが、礼拝以外の行為について見解のズレがあった。今日のエピソードは、礼拝の途中か、礼拝後の場面と思われる。

「すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全く伸ばすことができない女の人がいた」(11節)。「十八年」という長い年月、病で苦しんできた。ルカ8章43節では、「そこには、十二年の間、長血をわずらい、医者たちに財産すべてを費やしたのに、だれにも治してもらえなかった女の人がいた」と、12年の長きに渡って病で苦しんできた女性が登場したが、それを越える長さである。もちろん、病の種類は異なるし、状況とかも違うわけなので、長さだけでその人の苦しみの大きさを推し量ることはできないが、想像を絶する苦しみを通ってきたのではないかと思う。社会からの排除、孤独も経験してきただろう。当時は女性が礼拝に出席することを疎んじられていたので、これは、礼拝後のことであった可能性もあるが、いずれ主イエスがおられた会堂に足を運ぶというのは、何とかしてイエスさまに近づきたいという彼女の求めがあってこそのことであると思う。

主イエスは彼女に目を留められる。そして主導的にアプローチされる。「イエスは彼女を見ると、呼び寄せて、『女の方、あなたは病から解放されました』と言われた」(12節)。何という驚くべき宣言だろうか。いやしのみわざを行われる前の宣言である。主イエスのことばに注目してほしい。カギとなることばは「解放されました」である。「解かれました」でも良い。同じようなことばを、主イエスはこの後、二回使っている。15節の「安息日に、自分の牛やろばを飼葉桶からほどき」の「ほどき」が「解く」ということばである(協会共同訳)。16節では「安息日に、この束縛から解いてやるべきではありませんか」とある。この物語のキーワードは「解く」である。主イエスは彼女を束縛から解き放つことばを語った。主イエスのことばは神のことばであるので、主イエスが「解かれました」と言われたら、それは解かれたも同じである。「解く」については、随時ふれることにしたと思う。次に主イエスは「解く」という実際の行動に出る。

「そして手を置かれると、彼女はただちに腰が伸びて、神をあがめた」(13節)。これが束縛から解くみわざである。まず「そして手を置かれると」とあるが、前にもお話したように、旧約聖書には、手を置いていやすという場面は一つもない。ただ、神の御手という表現は旧約聖書では良く使われており、その用法を調べると、神の御手は神の力のシンボルになっていることがわかる。神の御手は力強い。そして、それは神の愛のシンボルであることもわかる。それは、ルカの福音書からも十分にわかる。主イエスは誰に御手を置いてきただろうか。病人たちに手を置いた(4章40節)。触れると汚れるとされた重度の皮膚病患者に手を置いた(5章13節)。大人がさげすんだ子どもにも手を置いて祝福している(8章54節)。そして今、悪霊につかれた婦人の上に手を置いている。主イエスの手を置かれるという行為に、神としての力と愛を見出すことができる。彼女はそれをからだで感じ取っただろう。すると、 彼女の腰はまっすぐになった。これが束縛から解かれたことの現象面である。そして彼女は「神をあがめた」。

ところが、神をあがめることと全く正反対の姿勢を見せた者がいた。「すると、会堂司はイエスが安息日に癒しを行ったことに憤って、群衆に言った。『働くべき日は六日ある。だから、その間に来て治してもらいなさい。安息日にはいけない』」(14節)。「会堂司」は、会堂を管理するだけではなく、礼拝をつかさどる責任者であるが、主イエスのした良き行為対して憤っている。一緒に神をあがめることをすれば良いのに、憤ってしまった。どうしてか。この人物の精神が悪いと言ってしまえばそれまでだが、それは当時の安息日律法の誤った解釈に起因していた。安息日は礼拝の日であるというのは主イエスもユダヤ教徒も共通の理解があったが、問題は、安息日に休むべきとされた労働の理解にあった。「安息日」の原語<シャバット>ということばは、もともと「やめる」ことを意味する。通常の仕事をやめるのは安息のためである。ところが、何が人間にとって安息であるのか、その意義を見失って、機械的に、何が仕事で何が仕事でないのか明確に定義する作業に入っていった。伝統的に、「いやし」も安息日にしてはならない労働に数えられていた。もちろんこれは誤った解釈である。

紀元200年頃にまとめられたユダヤ教の規則集で「ミシュナー」がある。それによると、安息日であっても、病人が病気から治ることまでは禁じていない。「治ったのならば、治ったのである」と書いてある。治るのがちょうど安息日であるということは禁じていないが、安息日にいやすという治療行為は禁じた。それは神が禁じる労働であると。

主イエスは、これをどう論破されるだろうか。「しかし、主は彼に答えられた。「偽善者たち。あなたがたはそれぞれ、安息日に、自分の牛やろばを飼葉桶からほどき、連れて行って水を飲ませるではありませんか」(15節)。「あなたがたは安息日に家畜を大切に扱いながら、家畜以上に価値がある人間に対しては無慈悲なのか」というところだろうが。もう少し丁寧に見てみよう。ユダヤ教の教師(ラビ)たちは、伝統的に、家畜にあわれみを示すように教えていた。それは、聖書がそう教えているからである。けれども、この場面では愚かにも、家畜以上に価値がある人間にあわれみを見せたことに対して憤っている。この矛盾を突く弁証となっている。お話の冒頭で、「飼葉桶からほどき」の「ほどく」は「解く」ということばであることをお伝えした。先ほどのユダヤ教の規則集「ミシュナー」には、安息日にしてはならない39種類の労働が規定されており、いやしも入るが、「結ぶこと」と「解くこと(ほどくこと)」も労働とされている。ところが、安息日にも許される「結ぶこと」と「解くこと」があったようで、それは片手で結び、片手で解ける程度のものであったようである。それであるなら容認された。だから、家畜の場合、前日に片手で解けるように、家畜小屋に結わえておけばいいわけである。それを片手でほどき、連れて行って水を飲ませる。このようにして、家畜に水を飲ませるという目的を遂げさせようとした。

主イエスは、家畜を解くことを認めていた彼らに対して、「牛やろばの問題ではない。アブラハムの娘の問題なのだぞ。目を覚ましなさい」と語られる。「この人はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間、サタンが縛っていたのです。安息日に、この束縛を解いてやるべきではありませんか」(16節)。相手は、牛やろばではなく「アブラハムの娘」である。ユダヤ人たちはアブラハムを父祖とする民族である。ユダヤ人たちは、アブラハムは私たちの父だ、私たちはアブラハムの子孫だと言って、自分たちの血筋を誇っていた。神はアブラハムと契約を結んだ(創世記12,15,17章)。神はアブラハムの子孫を選びの民として祝福することを約束された。だが、この契約はキリストを信じる者に有効となるのである。パウロは言った。「あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです」(ガラテヤ3章29節)。十八年間病の霊につかれていた女性は、キリストを求める信仰がある。彼女こそ、正真正銘のアブラハムの子孫、神の民。主イエスが「アブラハムの娘」という表現で言いたかったことは、この女の方は、神の御目にかない、神に寵愛されている女性なのだということである。しかも、家畜のように数時間、十何時間、つながれていたのではない。十八年もの間、サタンに束縛されていた。「彼女をその束縛から解くことを禁じるとはどういうことだ?牛やろばを解いてやるのに、アブラハムの娘を解くことを禁じるとはどういうことだ?解いてやるべきはないか」。聞いていた人たちはぐうの音も出なかった。彼女を束縛から解くというのは、まさしく安息日の精神にかなう。

15,16節を良く見ると、「しかし、主は彼に答えられた」と、主語が「主は」で始まっている。前後の文章を見ても明らかだが、「イエスは」で始まっている。他の章を見ても、ふつうは「イエスは」で始まっている。執筆者のルカは意図的に、ここでは「主は」で始めている。思い出していただきたいのは、6章の安息日論争である。そこでも安息日の律法の解釈をめぐって主はユダヤ人たちとやり合っている。そこで「人の子は安息日の主です」(5節)という有名なことばを語られる。「人の子」とは「キリスト」という称号の別称であるが、キリストは安息日を制定した主なる神であり、安息日をどのように過ごしたら良いかの決定権を持つお方であり、安息日に関する最高権威者なのである。だから、13章のこの場面でも、安息日に関して「主は」と主の権威を強調している。主が言われたことは絶対的に正しい。もちろん、その行為も。

私たちは、自分の行動を決するときに、やはり、主イエスの教えとふるまいを参考にすべきだろう。主イエスは当時のユダヤ教の文化に基本従われた。衣服から起居動作から。しかし、その中の伝統的なものが、聖書の教えから外れていると判断された場合は別だった。今日の場面ではラビたちが禁じていた安息日の仕事をしたということである。けれども、それは人が禁じたのであって、主なる神は禁じておらず、むしろ、安息日の精神にかなうと理解しておられた。

主イエスはこの後も、安息日にいやしのわざを行う。14章1~6節にも、いやしのみわざを行う一つの記録がある。相変わらず、そこには、主イエスを非難するユダヤ教指導者たちのまなざしがある。彼らの固定観念こそ、その束縛から解かれなければならないものであった。

ユダヤ教の流れを見ると、体質は随分変わっていった。旧約時代は、預言者を通して何度戒められても、偶像崇拝に堕していった。旧約聖書は、極端なことを言ってしまえば、偶像崇拝の記録のようなものである。偶像崇拝と不道徳は一体であった。全体としてルーズの印象は拭えない。しかし、紀元前五百年代後半のエルサレム陥落、バビロン捕囚という裁きによって、偶像崇拝の慣習は消えていく。他の神々は拝まないと。神は唯一であると。そして規律正しい生活が重んじられて行く。それはそれで良かった。また旧約時代の問題として安息日を守らないということがあった。だから、主は預言者イザヤを通して、「もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を『喜びの日』と呼び、主の聖日を『栄えある日』と呼び、これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びとする」(イザヤ58章13節,14節前半)と戒めを送ることになる。紀元前五百年代中頃から、バビロン捕囚となっていた民たちはエルサレムに帰還するようになり、神殿再建とともに安息日の過ごし方に注意を払うようになる。安息日を絶対視する。それはそれで良かったのだが、今日の物語からわかるように、今度は無用な規則、システムを築いて、神の戒めを形骸化していく。振り子は、右に左に大きく揺れる。放縦主義か形式主義か。

私たちは八百万の神々を認め、先祖崇拝をする日本文化の中で生活している。そして、この終末の時代の特徴として、宗教はどれも同じと、キリスト教界もそちらの流れに向かっている。堂々と偶像崇拝を容認する時代となっている。多様性の名のもとに罪が容認されるような時代でもある。第二テサロニケ2章3節では、主イエスの再臨の前に「背教」が起こることを告げている。「背教」とはキリスト教の堕落である。それは始まっている。また、現代は個人主義の時代とも言われ、主の日を共同体として礼拝をささげるということが軽んじられてきている。いわゆる安息日が軽んじられてきている。私たちは、旧約時代の民の二の舞とならないように心がけなければならないが、同時に、キリスト時代の人々のように、気づいて見たら形式主義で生きているということにもなりかねない。別の言い方をすれば律法主義ということである。振り子は極端に右や左に振れる。そのような意味でも、私たちはキリストの教えとそのふるまいに目を注ぎ続けていきたいと思う。

そして、今日の物語からその他にも教えられることは、私たちも主イエスとともに、色々な意味で束縛で苦しんでいる人を解き放つ、助ける、そのような働きに携わることができればということである。私たちの周囲にいる助けを必要とする隣人に関心を注ぎ、同情を示し、祈りつつ、自分ができることをしていきたいと思う。