今日は、主イエスはあわれみ深いお方であることをご一緒にみよう。主のあわれみは、ツァラアトに冒された人を通して示された。さて、今日の物語を見ていく前に、聞きなれないことばである「ツァラアト」について整理しておきたい。聖書のあとがきの2ページの中頃に説明がある。「『らい病(人)と訳されていたヘブル語『ツァラアト』およびギリシア語『レプラ』『レプロス』は、第三版に続いて『聖書 新改訳2017』でも『ツァラアト』と訳出し、その派生語は『ツァラアトの者・人』『ツァラアトに冒された(者・人)などとすることにした。聖書のツァラアトは皮膚に現れるだけでなく、家の壁や衣服にも認められる現象であり、それが厳密に何を指しているかはいまだ明らかでないからである」。以上だが、「ツァラアトに冒された人」という場合、何らかの皮膚疾患を意味するわけだが、それが病理学的に何の病であるか判明していないため、新改訳は原音表記で記している。以前は「らい病」と訳していたわけだが、らい病はハンセン病として知られている。文献上の上でハンセン病が確認できるのは紀元前6世紀からであり、それより遥か一千年前のモーセの時代にはなかった可能性が高い(なかったとも言い切れない)。そして、旧約律法には、ハンセン病特有の神経マヒが一切言及されていない。よって「らい病」と特定できない。かと言って、「重い皮膚病」といった漠然とした訳語も適当ではない。既定の病のはずだからである。以上で、「らい病」という訳語を避け、苦肉の策で原音表記とした理由はわかっていただいたと思うが、新約聖書はギリシア語なのだから、ヘブル語の「ツァラアト」ではなく、ギリシア語の「レプラ」を採用しても良かったのではとも思われるかもしれない。実は「レプラ」は今日、らい病を意味する英語「レプロシー」の語源となってしまっているところから、らい病をイメージさせるギリシア語読みは取られなかったという事情がある。

さて、ツァラアトに冒された人は、あらゆる意味で孤独だった。そのことはメッセージ全体を通してお伝えしたい。ツァラアトに冒された人には律法でこう命じられている。「患部があるツァラアトに冒された者は自分の衣服を引き裂き、髪の毛を乱し、口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ぶ。その患部が彼にある間、その人は汚れたままである。彼は汚れているので、ひとりで住む。宿営の外が彼の住まいとなる」(レビ13章45、46節)。この病に冒された者は「わたしは汚れた者です、汚れた者です」と叫んで、宿営の外に離れて、ひとりぼっちで住まなければならなかった。伝染性のある皮膚病であったようだが、この汚れというのは衛生上の問題だけでとらえてはならないものである。聖書における汚れは、神との交わりから断たれることも意味する。神との交わりも人との交わりも禁じられる状態、それが汚れである。肩身が狭いといった、周りに引け目を感じるどころではない。完全にアウトの存在で、神との交わりも人との交わりも遮断である。

12節を見ると、全身ツァラアトに冒された人が、なんと町の中にいたことがわかる。本来なら、町の中にはいない存在である。主イエスは町の端っこにおられたのだろうか。それでこの人は、イエスさまを見かけ、思わず町に入ってきてしまったのだろうか。ふつうであれば、そうであっても、近づかないで遠く離れているのが常識的所作である。だが、意外にも接近している。彼の強い意志を感じる。

彼は、主イエスを見ると、ひれ伏す(12節b)。先のガリラヤ湖の物語でも、主イエスの前でひれ伏した人物がいた。ペテロである(8節)。ペテロは主イエスに神性の輝きを見、自分の罪深さを自覚してひれ伏した。この男もひれ伏すべき対象として主イエスに相対している。ペテロがひれ伏したときに発したことばは、「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから」(8節後半)であった。ペテロは自分の罪の自覚から、自分は本来、イエスさまに近づけるような身ではないと直感した。ツァアラトに冒された人もまた、自分は神にも誰にも近づける者ではないという自覚はある。自分がどのような者なのかわきまえている。

彼はペテロと同じく、イエスを「主よ」と呼んでいる(12節c)。「主」とは前回お話したように、神的呼び名である。神に相当する呼び名である。ペテロは「先生」と呼んでいたのを変えて「主よ」と呼んだ。ツァラアトに冒された人も「主よ」と呼んでいる。彼も主イエスに神性を認め、主の前に自分が汚れた身でしかないことを自覚している。彼のひれ伏す姿勢は、ペテロと相通ずるものがある。だが、彼がひれ伏したのは、そうした理由からだけではない。彼がひれ伏したのは、いやしを願う態度の表れでもあった。

彼の懇願のことばを見てみよう。「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」(12節c)。「もしおできになるなら」ではなく「おできになります」ということばに心を惹きつけられる。「おできになります」という、この確信があったからこそ、御前に進み出ることができた。だが彼は謙遜な表現を取った。「主よ、あなたにはおできになります。きよくしてください」という表現ではない。「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」。いやしを願っているのに、その表現は直截的ではなく、婉曲的である。「お心一つで」と言っている。「お心一つで」の表現の直訳はこうである。「もしあなたが意志されるなら」「もしあなたが希望されるなら」。彼が直截的な表現を取らなかったのは、本来自分はいやしてもらうに値しないという自己認識があったからであろう。また「お心一つで」という表現には、主イエスのあわれみにすがろうとする彼の思いを感じる。彼は、主イエスの御力とともに、主イエスのあわれみの心に信頼していたのである。彼は、主イエスは私を嫌って追い返さない、と思っていた。

主イエスはどのように応答されたのだろうか。相手がツァラアトに冒された人であったのなら、「わたしに近づくな、離れよ」と追い返すことができた。また、自分から離れ去ることもできた。それが当然な反応だっただろう。いやすにしても、4章38,39節のペテロの姑のときのように、ことばだけでいやすことができたはずである。ところがである。「イエスは手を伸ばして彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ』と言われた。すると、すぐにツァラアトが消えた」(13節)。「イエスは手を伸ばして彼にさわり」とあるが、どこをさわったのだろうか。患部を外してさわったのだろうか。このエピソードはマタイやマルコの福音書にも記されているが、12節では「全身ツァラアトに冒された人」とあり、ルカだけが「全身」ということばを使い、患部が全身に広がっていたことを伝えている。医者のルカらしい。主イエスは患部にさわったのだろう。ツァラアトに冒された人には近づくことさえしなかったわけだが、それを思うと衝撃的行動である。かなり衝撃的である。十字架と連動する行動である。キリストは十字架の上で、私たちの罪という、それこそおぞましい汚れを負うことになる。また十字架は、神と罪人との交わりの回復のためであったが、主イエスが伸ばした御手は、神と人との交わりの回復のしるしとなっている。主イエスの御手は神の御手である。

このさわるという行為を、単純にツァラアトに冒された人の側から考えてみても良い。さわるということはスキンシップを意味する。全身ツァラアトに冒されたこの男は、長年、誰にもさわられることはなかっただろう。スキンシップゼロで生きてきた孤独の存在である。ゼロもいいところのゼロである。そんな彼に主イエスの手が伸びてきた。そして主イエスの手が触れたのである。彼の驚きと感動をイメージしてみよう。電気ショックが走るような衝撃が走ったのではないだろうか。

さらに、希望のことばが投げかけられる。主イエスが発せられたことば、「わたしの心だ。きよくなれ」は、「わたしの意志だ。きよくなれ」「わたしは望む。きよくなれ」である。きよくなるとは、汚れが神と人との交わりの断絶であったことの反対で、神と人との交わりの回復を意味することである。それがこのいやしの大きな効果の一つである。

主イエスはいやされた男に対して、14節を見ると、二つのことを命じている。一つは、「だれにも話してはいけない」。主イエスは、いやしの働きを期待する、民衆の過剰な興奮を抑える必要を感じたのだろう。もう一つの命令は、いやされた証明を得るようにということ。「「ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々への証のため、モーセが命じたように、あなたのきよめのささげ物をしなさい」。ツァアラアトに冒された者がいやされたと診断し、それを証明するのは祭司の務めだった。そして、いやされた者は子羊や鳩のささげ物によって、社会に復帰できたのである(レビ14章)。

ツァラアトに冒された人の物語から見えてくるものがある。彼は初め、肉体的にも孤立していたし、社会的にも孤立していたし、霊的にも孤立していた。誰にもさわっても近づいてももらえず、スキンシップゼロで愛に飢えて生きてきた。通常の社会生活を送ることはもちろん許されなかった。完全な蚊帳の外で死んだ人間のようにみなされた。ツァラアトに冒された人は、生きている死人とみなされたらしい。霊的には、神との交わりも許されないとされていた存在だった。あらゆる意味で孤独であったということである。そして、汚れということがその原因だったのである。全身の汚れ、孤独、治る見込みもなく、絶望の日々を送っていただろう。しかし、そのような人であっても、主イエスに向くならば、希望が生まれる。救いがある。愛の御手が差し伸べられ、交わりの回復がある。主イエスはほんとうにすばらしい。主イエスにあっては、誰も絶望する必要がない、すべての人に希望があると教えられる。私自身、そのことを強く教えられた。

彼は全身ツァラアトに冒されていたので、確かに絶望的状況を生きていた。そのような時、イエスさまのうわさを聞きつけた。彼の心のうちで変革が起き、イエスを主と呼ぶ信仰が芽生え、主イエスの御力を信じる信仰が芽生え、主イエスのあわれみに信頼する信仰が芽生えた。イエスさまが近くまで来ているぞ、と知った。彼はこのチャンスを逃すまいと、今回の行動に出た。もし、絶望の淵にいる人をみかけたら、そのような人に、主イエスを紹介したい。誰でも絶望のまま、人生を終わる必要はない。

ここで、主イエスと似た行動をとった人物を紹介しよう。群馬県出身で飯野十造という先生がいた。この先生は海軍に所属していた時、イギリスで建造中の軍艦を受け取るためにイギリスに派遣された。その時、民宿していた家の婦人からキリスト教の感化を受けたと言われている。飯野先生が静岡で自給伝道をしていたある晩のこと、夜の集会の後に、一人の青年が、今晩泊めてほしいと言い出した。しかも、先生の寝床で一緒に寝たいという申し出だった。先生が「いいですよ。では一緒に寝ましょう」と答えた時、その青年は自分の二本の腕をむき出しにした。先生はあっと驚いた。それは一目見て誰にでもわかるハンセン病患者だったからである。先生は「しまった」と心の中で叫んだ。その手を見た時、「一緒に寝ましょう」と言った時の愛も勇気もうせてしまって、心の中は恐怖と嫌悪の情がうずまいた。先生は隣の部屋に行って、悔い改めて、愛と勇気が与えられるように祈ったそうである。先生は再び青年の前に来て、謝り、「さあ、一緒に休みましょう」と言った。すると青年は、「先生、ありがとうございます。失礼しました。私は神を見ました。暖かいおことばをいただきありがとうございました。これで十分です。満足して死んでゆけます」。そう言うと、急に立ち上がって、家を飛び出してしまった。追いかけたがだめであった。この青年は三日後、海岸の松の木で首をつって死んでいるのを発見された。この出来事が機縁となって、飯野先生はハンセン病患者救済のために立ち上がつた。静岡には安倍川という川があるが、この川の畔にあちらこちらから追われてきたハンセン病患者いることを知った先生は大正14年12月、自ら安倍川に出向いて30数名の患者におしるこをふるまってクリスマスを祝ったという。ハンセン病患者たちは涙を流し、音の出ない手を打って喜んだと言われている。

当時、ハンセン病患者は、至るところで警官に追われ、消防団員には追いまくられ、時には唯一の宿であるテントも焼き払われ、寒さにかぶる布団もないという状態で、野良犬のような様であったということである。絶えず、嫌悪と冷たい視線を浴びせられていたということにおいて、ツァラアトに冒された人も同じであったことはまちがいない。

主イエスのツァラアトに冒された人へのあわれみは深かった。それは十字架へと高められて行く。「キリストは十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました」(第一ペテロ2章24節)。「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」(ローマ5章1節)。「神との平和」、それは神との交わりの回復である。主イエスが誕生した時、御使いたちは賛美した。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和が、みこころにかなう人々にあるように」(2章14節)。この平和が全身ツァラアトに冒された人にも訪れた。彼も「平和が、みこころにかなう人々にあるように」と言われた一人であったことを忘れずにいたい。

今日は主イエスの深いあわれみを中心に見てきた。主イエスのあわれみ深さを垣間見ることができたのではないかと思う。私たちもこのお方の前に出ることができる。ひれ伏す思いで御前に出て、このお方の御手で触れていただき、適切ないのちのことばをいただき、人として回復することができる。

最後に、15,16節にもコメントしておこう。主イエスは会堂で福音を説いていたが、主イエスの働きはそうした場所にとどまらず、湖畔でもどこかの広場でも民家でも道でもと広がりを見せて行く。そして「群衆」とあるように、主イエスの周りには絶えず、群衆が押し寄せることになる。だが群衆にあおりたてられ、彼らに乗せられて働きを進められるのではなかった。「だが、イエスご自身は寂しいところに退いて祈っておられた」(16節)。主イエスはどのように忙しくとも、祈りの時間が浸食されることを許さなかった。この線引きはきっちりしていた。このお姿も私たちの模範である。主イエスが働きで重視していたのは祈りであり、イエスさまと言えども、この祈りなくして働きを進めることはできなかったのである。祈りの時間は、主イエスのスケジュールにおける聖域だった。